bunnoichi’s diary

高専から大学編入した野郎の激ユル仙台日記(大フィクション)です

22本目の日記 〜5年間終了 / 戦争反対〜

高専生活終了

3年間、人によっては5年間、苦楽を共にした友人たちとの高専生活が終了した。時間にして5年間、中学生活の約1.7倍という長い時間だった。その最終日、歴史的な悲劇が起きた。この点も付して記す。

高専生活最後の日

高専生活が終わった。思えば、長いようで短い5年間だった。いや、長かった。長い5年間だった。高専生活最後の日。授業がある日として言えば、自分の最終日は火曜だった。最終授業は、1,2年の頃担任いただいたK先生の英語。最終授業は、英語というよりは、高専5年間の振り返り的な授業だった。

天長節を挟んで木曜、授業こそなかったが、最終日ということで友人に会いにきた。10時前、最後ということで高速を使って高専へ。教習以来の高速で、初めて1人で走った。やっぱり、中古の軽自動車に高速は難しい。基本左車線を走って来た。意外にも、高専に着く時間は10分程度しか変わらなかった。やはり、自宅からだとインターまで行く経路と、高速の走る経路が絶妙な微妙さだった。

10時半、高専着。I研に顔を出したのち、F研。11時半、I研に顔を出し、1人、カナイへ歩く。12時前、カナイにて最後の昼餐。蔑むべき紅茶マイスターなどをいびりながら唐揚げランチを喰らう。美味い。多分また1人で食べに来るとは思うが、このメンツで来るのはもしかしたら最後かもしれない。

13時半前、高専に戻る。I研の掃除を手伝った。自分の研究室も掃除してないのに、この研究室を通算何回掃除をしたのだろうか。この際、報酬として電子回路の教科書を1冊頂い帰った。なんやかんや掃除が終わり、ご歓談タイム。消火器のプロらとともに、最後の購買へ。何度か深夜ラジオトークで盛り上がったオバちゃんに「ラジオ聞いてね」と励ましの言葉を頂き、5年間のお礼。

I研に戻り、うだうだとする。途中より、4年生の子が2人来てくれた。そして、おそらく最後の無響室。ここにもいろいろな思い出がある。最後にここで騒ぐだけ騒いで、記念撮影をして脱出。残りは、5E新語流行語大賞をみんなで吟味しながら投票。このメンバーでこんな雰囲気でグダグダするのも最後だ。5年分の爆笑を最後にした気がする。最後にはMと別れの抱擁を交わし、E科棟を出る。5Eの皆様、4Eの子、中和、ありがとうございました。

星野源のおんがくこうろんを見た

先週のGeorge Gershwinの回は見れなかったが、今週のは見れた。特集されていたのは、Allee Willisという作曲家の人だった。初めて聞いた名前だったが、聖地デトロイトで育ち、Earth, Wind & Fireなどと曲を作り、Septemberをモーリスとともに書き上げたらしい。番組冒頭からは見れなかったので、ヘッダが壊れるまで録画を見直したい。

ロシア軍、ウクライナ侵攻

24日、ロシアがウクライナに軍事侵攻を始めた。何かあるとしたら北京五輪後だとは思っていたが、まさかこんな早い段階で戦闘、ましてやこの21世紀に侵略戦争が始まるなんて思わなかった。本当に悲しい。こんな話題書きたくもないが、私情を交えて後世に残して読み直したいがために、重い腰をあげてキーボードを叩く。

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CNN(22/02/24)

"RUSSIA INVADES UKRAINE"。「歴史書国際法の条文でしか見ないだろうな」と思っていたinvasionという単語が、今こうして世界中のニュースサイトやSNSで平然と並んでいる。歴史書や単語帳のニッチなパートでしか見なかったような単語が頻繁に使われている現状に、大きな不安と悲しみを覚える。そして「禍」という文字。この漢字を習ったときは「戦禍」という用例と共に教わり、2年前からは「コロナ禍」という用例が最もポピュラーだった。今、コロナ禍以上の悲惨な使われ方が再びされようとしている。

ロシア軍がウクライナに侵攻を始めたと知ったのは、24日の13時半ごろだった。ちょうどカナイで高専生活最後の昼餐をとって店を出て少ししたくらい、LINEニュースの速報で知った。学校に戻り、すぐさまニュースサイト、SNS、ラジオで情報を集めた。

Twitterには「第三次世界大戦」「WW3」という見たくもない言葉が数多く投稿されている。この不穏なワードがこんなにも現実味を帯びてプレゼンスを示してきたのは、自分の記憶では5年前の北朝鮮危機のとき、下手したらそれを上回り初めてかもしれない。

今回の軍事侵攻について、プーチンの言い分だと、

  • ウクライナは東部のロシア系住民に対しジェノサイドを行なっている。
  • NATOは30年前に東欧に1インチも拡大しないと言いながら、東欧諸国を迎えている。
  • ウクライナは核放棄をしながらも、チェルノブイリで核開発を行なっている(?)。

故に、ネオナチ的な国家からロシア系住民を保護することが、軍事侵攻必要な特殊作戦を決行した理由らしい。NATOに関しては分からなくもないが、客観的に見れば、これは国際的に認められた領域を明確に無視した侵略行為であるし、罪のないウクライナ国民を武力をもって脅し、民主主義的な政権の転覆を画策しようとしているロシアの非は明白である。

NATOはじめ欧米諸国は、ウクライナNATO非加盟等を理由に、ウクライナへの介入とロシア軍との直接交戦はしない模様。米政府及びバイデン自身、米軍の参戦はこれまでとは比較にならない世界大戦、核戦争への直結を認識しており、当初よりウクライナ介入は否定していた。なんとも言えない歯がゆい思いだが、27日、ドイツ軍はじめ各国がウクライナ郡への武器供与を決定。

www.cnn.co.jp

www.youtube.com

www.bbc.com

"Putin is the aggressor. Putin chose this war." BBCによると、バイデンのこの会見は、ロシアがウクライナに攻撃を開始してから12時間後のことらしい。記者会見におけるバイデンの、明瞭かつ単純なこの発言は、英語を話せない自分でも明確に聞き取ることができた。自分の中で記憶にある大統領はオバマ、トランプ、バイデンの3人である。各大統領にキャッチコピー的なセリフを思い出そうとすると、オバマはYes, We Can、トランプはMake America Grate Againだが、個人的にこれからも続くだろうバイデン政権に関しては間違いなくこのセリフが一番印象強く残ると思う。

www.youtube.com

CNNのリポーターが銃撃戦に遭遇した映像。この後、記者が兵士に話を聞いたらしいが、その兵士はロシア兵だったらしい。

ウクライナ大統領府の発表では、4千人以上のロシア兵が死亡し、200人ほどを捕虜としているという。ロシア軍の兵士も、好きで戦争なんかやってるわけではないと思う。いや、信じたい。やはり、ロシア指導部を許すことはできない

侵攻開始から48時間で悲惨な映像を多く見た。地下シェルターで「死にたくない」と言いながら泣く幼女、SF映画のような開裂音ともいうべき音を上げながら撮影者のすぐ前に着弾したミサイル、キエフ郊外で非武装の自動車を踏み潰すロシア軍戦車、仕事に行った息子を泣き叫びながら探す女性、総動員令で出兵するためにバスの前で妻子と別れる男性、キエフタワーマンションを貫いた巡航ミサイル。ニュース番組をこんな気持ちで見たのは久しぶりだった。もう、何も言うことはない。

1つ、希望的なものがあるとすれば、ロシア国内でも反戦の機運が高まっているらしい。今まであった主要な戦争と今回の戦争で大きく異なる点は、SNSの普及である。このおかげで、(情報戦のフェイクは置いといて)国内外の情報が容易に入ってくるようになったし、感情の共有や呼びかけもできるようになった。

他にも、アノニマスがロシアに対して宣戦布告を行ったらしい。国籍不明な匿名集団も参戦する時代なのかと痛感。ゼレンスキー大統領が意見表明をTwitterInstagramで行っている点も、何か今までの戦争のイメージと大きく離れていて不思議な感覚である。

www.foxnews.com

 

最近、国家レベルでの治安がどんどん悪くなっている気がする。アメリカが世界の警察を自称しなくなってからもう5年以上経つが、この間、クリミア併合、イスラム国勃興、北朝鮮危機、中国の海洋進出、アメリカ議会襲撃事件、ミャンマークーデター、タリバンによるカブール陥落、そしてウクライナ戦争である。このうち、後の4つはここ1年の出来事である。

日本の若者は、この出来事をどう見ているのだろう。まさか「ツイッターで話題になってたね」くらいの認識をしている若者はいくらなんでもいないだろうが、少ないことを願いたい。正直、政治に興味あるないに関わらず、同じ地球上で核兵器を持った国が他国に侵攻し、同世代の一般市民、ヘタしたら子供が武器を持って戦っているという現状を知ろうとしないことは、市井を営む同じ人間として最大限の恥であると思っている。

見たくもない現実だが、これから目を背けることは出来ない。残念ながら、東洋の1島国の1国民にできることといえば、今を知ることと平和を祈ることくらいしかない。これ以降も、平和を現実的に考えていきたい。あとは、ウクライナに寄付でもしようかと考える。

こんな大義名分のない侵略戦争で命を落とした全ての人々に、黙祷を捧げたい。

その他の日記

  • 月曜、通常登校。F研にて空間乞食の後、15時前、出る。直帰しようと思うも、気が変わり遠回りして帰宅。高専を出、高崎市街、山名、藤岡、上里、本庄、境島村、深谷を経由し、伊勢崎へ帰宅。
  • 火曜、通常登校。8時半過ぎ、新潟大学にFAX。9時前、自宅を出、徒歩で高専へ。途中、母中学校を経由し、11時半、高専着。14時前、F研。消火器のプロ、MTMTらと談笑。16時過ぎ、恐らく最後のプレハブ棟を訪れ、愛チャリで出る。16時半過ぎ、煥乎堂本店。17時過ぎ、出る。18時過ぎ、帰宅。
  • 水曜、天長節
  • 木曜、10時前起床。10時半、高専着、F研。11時半、カナイ。13時半、カナイを出、高専。I研。掃除手伝い等々。20時前、出る。
  • 金曜、定休日。深夜、朝生を少しだけ見る。久々に見た田原総一郎は醜さを増していた。議論が噛み合わないとか話の論理がわからない以前に、歳のせいでそもそも音として何言ってるかわからず、挙句めんどくさいタイプの客みたいに全員に喧嘩腰で挑んでいた。内容も討論というより、おじいちゃんが高圧的に質問してパネラーが答えて、それを遮っておじいちゃんが質問してパネラーが答えて...を繰り返し、おじいちゃんの期待はずれの答えだと激昂するかCM行くかの2パターン。30分でギブアップしたが、持った方だと思う。宜嗣さんと下平さんの身の交わし方と三浦瑠麗のおじいちゃんに対する苛立った顔は面白かった。
  • 土曜、バイト(10-20)。店長とBさん、Wさん、ペットのHさんと近いバイトには言っていたが、再来週に辞めることを、世話になった人々に順次ご報告。Bさんに改めて報告し、FSのTさん、事務所のTさん、同じラインのSさん、Mさん、Nさん、Uさん、Tさん、Hくん、今は家電のIさん、品出しのAさん、ペットのOさん、資材のTさん、警備のKさん、Sさん、同級生のTとEにご報告。覚えてる限り。Uさんとは休日が地味にバッティングして、もしかしたら今日で最後。ということで、今生の別れをした。
  • 日曜、バイト(10-20)。昼過ぎ、Iさんと地味な作業をしながら学生時代&1人暮らしトーク。この日も御礼行脚。昔お世話になった資材のMさん、同じラインのKさん、Iさん、Uさん、Kくんに報告。まだまだ御礼できてない人がいる。なんとか最終日までには報告を終えたい。

学外で学んだこと

この間聞いたアルバム

  • 特になし。

共同じゃない通信(2.21[Mon]-2.27[Sun])

日時は全て日本時間で表記。

明日へ向けて

人生で一番聴いてる反戦歌を貼っておく。


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