25本目の日記 〜高専卒業&バイト卒業〜

高専とバイトを卒業

18日、5年間収容通い詰めた高専を卒業してきた。加えてその前の日曜、丸4年間勤めあげたバイトを辞めて来た。悲しいとか寂しいとかいった思いは案外なく、むしろ学業バイト共に後悔なく、胸を張れる終え方が出来て晴れやかな気持ちでいる。卒業式、最後の土日勤務と、バ先で過ごした4年間の思い出を書こうと思う。

諸々書き終えて改めて本文を読むと、ちょっと気持ち悪いほどに長くなっている。まあでも、最後だと思ってそこは目を瞑って。

卒業式、の前に620

卒業式の前日の木曜夕方、個人的に1番爆笑ものだった笑顔をもたらしてくれた620先生からチャットが届いていた。

「えぇ〜、私は明日、電気抵抗の講師として中学校に侵入します。ちゅわけで、まぁ8時半に、顔を出すと...」

iρから事前にそんな噂は聞いていたが、先生の方からわざわざ連絡いただいたことに驚いた。ありがとう620、ありがとうiρ。早速返信し、5Εの連中にも話を流す。卒業式は8時過ぎに家を出れば良いと思っていたが、少し早起きしなければ。

そんなこんなで卒業式当日。朝少し早めに家を出る。水木、土日と晴れなのに、この金曜に限って本格的な雨。「神さまが悲しんでるんだね」とかいう表現は如何様にもできる。そしてこの日に限って、いつもの登校より信号に引っかかる。「時間に着かないやないかい!」と、思わず車内でおいでやす小田になったりもしたが、事故らないよう焦らず車を走らせる。

学校に着いたのは8時35,6分。ちょうど隣にはS太郎、BBC、Tが車から降りていたので、雨の中を教室へ4人小走る。教室に着くと、620とKの2人。前日の「流石に620と2人きり?タイマン?一騎討ち?はキツい...」という思いを、Kにさせてしまった。まぁそんなことは置いといて、620と撮影会を実施。撮ろうと思っていた2shotをキメ、620、退散。

思えば、620には大爆笑、いや、562でバカほど笑ってきたが、しっかり感謝もしている。3年次、NBO法人が病気になって電磁気演習が神保悟史に変わるというのを後期初日の朝に知った時、1個上の悪評ばっか聞いていたので絶望感しかなかったのを覚えている。ただ受けてみれば受けてみたで、割とちゃんとしてる授業。MKSAもそうだったけど、ガウスの法則や積分を用いた電磁気の演習問題は解説も丁寧で、それまで卑猥先生の教科書通りの授業しか受けてこなかった自分にはとても新鮮で、電磁気の面白さに気付いた授業だった。加えて、2回目の授業からはチコちゃんもこっちも変なスイッチが入り始め、吉田羊もどきの一挙手一投足が噴飯モノユーモラス。

翌年の物理演習もそうだったが、物理の問題解く上で積分を使った考え方は、このエロ仙人に叩き込まれた。おかげで編入の勉強にもスムーズに入っていけた。

ありがとうGOZiU、お礼にいち髪5t差し上げます。あ、置く場所ないか。ムハハハハ

卒業式

リハーサル

午前9時、胡蝶蘭と共にリハーサルで小雨の中第一体育館へ。会場はもうすでに全ての設営が終わっていて、5年ぶりに5学科のカラフル科旗と校旗も見た。思えばこの学校、日の丸はしっかり毎日掲揚されてるけど、校旗は掲揚どころか旗そのものを見たことがない。

会場の座席に置かれた式次第を手に取り、流れをなんとなく掴む。NBOも会場に見え、挨拶。久々にアダルトグッズバイヤーのI先生とも会話を交わした。

証書を受け取るM科の先頭5人のリハが終わり、自分と胡蝶蘭、専攻科代表、記念品贈呈のJ科のHさんとともに登壇の仕方を教わり、1度リハーサル。やはり、1度聞いただけではできるわきゃないので、通しリハの後3回ほど動作を繰り返し、頭に叩き込む。こんな格式張った歩き方と礼をしたのは空手の大会以来だ。練習を終えようとしたら保護者がゾロゾロ入り出してきたので、逃げ帰るように教室へ戻る。

卒業式開会

教室に戻るやいなや、NBOが「キミたち〜出て〜」と叫ぶも、雑談にかき消されあまり聞こえない。そんなことを言っても、彼の今世紀最大の声を無視するわけにはいかない。逃げ出た体育館へとんぼ返り。

開会2分くらい前のアナウンスで、学生保護者教職員一同皆静まり、午前10時、いよいよ開会。国歌を心の中で歌うと、すぐに証書授与が始まった。開会から僅か3分くらい、あまりの速さに卒倒しかけた。

約10分くらい待って、自分の番。iρに続いて登壇し、5年前は姿を見せなかったザキヤマ先生から証書を戴く。戴いたは良いものの、証書を持ちながら歩くイメージを一切していなかったので、まるで定期試験を受け取って自分の席戻るみたいな感じに。

卒業証書授与中に思ってたこと

5学科と専攻科、計200名くらい見てて思ったのは、やっぱりこういう時にカッコつけられるかどうかってメチャクチャ重要だと思った。

昔通ってた空手のコーチに教わったことを思い出した。それは入退場と礼でいかにカッコよく魅せるかということ。自分はレギュラーのメンバーじゃなかったしモブキャラ的な強さだったけど、全中でメダル取るようなレベルの道場にいさせてもらってた。その練習の中で、大会前に必ず何度もやってたのが、入退場含めた練習。形は四肢は勿論、帯や道着含めて総てで魅せる競技だったから、無論入退場と礼もしっかりキメるのは当たり前だった。小学校低学年の部とか見てると顕著だったけど、入退場がしっかりしてる子は技も通ってた。

証書授与を見て、そんなことをふと思い出す。コロナ禍で大声出すのはむしろ憚られることだけど、名前呼ばれて返事聞こえない人は側から見てて割とみっともなかったし、そういう人は姿勢も歩き方も筋が通ってなかった印象。特に在学中話したことなかった人とか、普段の様子を知らない人は、この場が第一印象だっから尚更みっともなく見えた。もちろん、返事をするしないとかチョけるチョけないは校風とかその場の雰囲気だろうけど、あの場所は明らかに前者が求められている場所だった。SF研だったC科の彼は、やはり(見た目に反して)武道をしっかりやってたので、すごくまともに見えた。中学高専じゃマジで静かだったK科のSも、剣道部だっただけあって返事が聞こえてなんかホッとした。

こうして考えてると、中学校の卒業式練習で嫌というほど証書授与の練習させられた意味がわかった気がした。授与シーンの練習は学生自身のためでもなんでもなく、その保護者のためと、周りの保護者に「あの子アレだったね」って思われないようにするためなんだろうな、って感じた。

あと、自分の隣の隣とその前と前を見てて思ったのは、証書授与中ならまだしも、おじさんたちの挨拶中もインスタ我慢できない連中は、卒業式中すらインスタ我慢できない人生送るんだろうなーって思ってた。今同年代が戦争に巻き込まれてることとかもどうでも良く思ってそうだし、子供の入学式をインスタやってて見逃したり、上司の葬儀でもインスタ見てんだろうなー。バカになんかしてない。その厚顔っぷりに屈服しているのである。

謝辞読み上げ

証書授与が終わり、校長やら来賓やらのおじさんたちの挨拶。てっきり来賓挨拶1人で終わりだと思ってたから、来賓挨拶何人喋んのかわからなくてずっと緊張してた。大学の面接とも違った緊張感、約5年ぶりな気がする。

ということでいよいよ出番。授与中にイメトレしてたので登壇等はおそらく大丈夫な自信があった。来賓挨拶中、iρに頼んで席を入れ替わってもらい、謝辞を胸ポケに仕込み準備完了。

名前を呼ばれ、コロナ禍らしい返事をし、席を立つ。指先まで意識して歩いたのは久々だった。教員来賓に一礼し、ザキヤマに一礼。もうこの時点で緊張はほぼ無くなっていた。緊張よりは、むしろ噛まないように意識がいっていた。無事読み終え、謝辞を手渡し、自席に戻る。コケることも動作ミスることも、声が上ずることもなく、無事に終えることができて良かった。ただ戻ってから「少し速かった気が...」と反省。周りの人や中和には褒めてもらえたのでOKにする。

式終了

式が終わり、小雨の中を教室に戻る。教室に戻ってからは色々モノをもらって、iρの作ってくれたPV?OV?を見る。ストレートな思い出系かと思ったらゲーム風だった。いい意味で予想外を裏切られた。イベントの減少やらクラス企画不参加だったため写真不足は否めなかったけど、それでも十分印象に残る映像だった。

その後はNBOから一言頂き、解散。自分はそのままF研に行き、少しグダグダ。そして第一体育館で5Eの連中と記念撮影。おそらく、高専でする最後の悪ふざけ。体育館には、後輩になったMとAも来てくれた。ありがとう、さようなら。

卒業して

学年を増すに連れ指数関数的に時間の経過が早まった気がする。2年の頃K科の友達に「早く5年になりて〜」と言っていたが、その5年も終わりもう卒業。この高専で学んだことは非常に多かった。時間を無駄にしたことも多かったけれど、この在学中にやってきたことに後悔はほぼない、多分。

また、自分の人となりや奇行や付き合ってくれた友人たち、大爆笑と知恵をもたらしてくれた教員たち、工華祭で病んでた時に癒してくれた西湖の鳥たちに、感謝をしたい。

ここで得たものは一生モノである。5年間、大変お世話になりました。ありがとうございました。みなさん、お元気で。

バ先で過ごした、中学より長い4年間

高専が知識と友人を与えてくれたとすれば、バイトは社会性と経験を与えてくれた場だった。

社内の記録を調べたら、ちょうど入社したのは4年前の3月8日、高専1年の春休みだった。最初は鬼のような社員の下でひたすら怒られないように暮らしていたら、いつの間にか(自分で言うのもアレだけど)気に入られていた。おかげで早いうちから自分より後に入った人のフォローやったり、僻地のレジにバンバン入れられたり、人が足りない時によく頼まれたりと、店にとって都合良い感じのバイトとして過ごしていった。

18年の7月より、レジ打ちから売り場の人間に異動になった。この異動を知ったのは、どっかに呼ばれてちゃんと言われたとかではなく、Kさんから「〇〇さん売り場行っちゃうの?」と言われ「え?!何の話ですか?!」「あっ、いや、なんでもない...」的なヌルッとした感じだった。

売り場に入ってから初めての長期休み、「休み中バカみたいに入って早く慣れとけ」という親の勧めもあって、夏休み中は土日7時間平日5時間、割と我武者羅にひたすらバイトをしてた。その働きぶりはNikonのカメラ代をほぼ1ヶ月で稼いだり、翌月時間調整の関係で入れなくなったり、早々にいろんな方に名前を覚えていただけたりするほどだった。それ以来丸3年半、ずっとこのラインでお世話になってきた。

歴史的(?)出来事

この4年間を振り返ると、バイトという軽い身分の自分にも「うわぁーすげぇー」と感じるような出来事が色々あった。

  • 8%から10%への消費増税→8%ラストだった9月最終週は営業時間が1時間伸びて、駆け込み需要を織り込んだ広告も打ってたこともあってクソ忙しだった。増税前最終日の月曜、自分は3年の後期授業初日で体育終わりからの出勤だった。17時前に店に行くと、月曜とは思えないほどの客足にぶったまげ、売り場を見ると繁忙期以上にモノがなくなってる。2日後の水曜にも出勤したが、今度はビックリするくらい客がいないし、売り場を見ると朝からほとんど減ってなさげ。自分の出た日で初めて客足が戻ったと感じたのは、2週間経った令和元年台風が関東上陸する直前だった。「増税怖ぇ〜」って思った。
    余談で、最終日に会長と少しだけ品出しご一緒させてもらった記憶もある。ボールドのことで言葉を交わした記憶がある。一介のバイトだからこそ、気楽にお話しできた瞬間だった。
  • デマによる紙騒動→これもはっきり覚えてる。たしか3年の最終日、学校帰りにバ先に行っていつも通り駐輪場にチャリを停めてたら、たまたま居合わせた巨漢のTさんに「おぉ!〇〇!お前の売り場大変なことなってんぞぉ!」と言われ「なんやなんや!?」と少しワクワク気味に焦った覚えがある。出勤して売り場を見て回ったりすると、ティッシュやトイレットペーパーが誇張なしで全て無くなってた。いつもはこれでもかというほど盛ってある紙製品が、ホコリ被ったやつまで根こそぎ売れてた。この他、店内を見ると生理用品も普通じゃ考えられないくらいガラガラになってて、赤ちゃん用のオムツもいつも以上にガラガラだった(介護用オムツは何故かそんなだった)。
    その後運悪く、ティッシュとトイレットペーパーの広告を打っていたので、いろんな工夫をして凌いだのも覚えてる。閉店後、第二から店内と店外からあらゆる方法で紙を運搬してアトラクションみたいにコーンバー並べて、翌日の朝7時に店に来て紙を求めに来たお客さんに売ってたのも、なんやかんや楽しかった。
  • コロナ流行開始→そんな感じでコロナが流行り始め、同様の現象はマスクやアルコール、ウェットティッシュにも生じた。マスクが入荷したら準備して、翌日朝7時か8時に来て同じように売り出し。他にも、土日も通常出勤。まだコロナのことがよく分かっておらず、世間一般がコロナ=得体の知れない殺人ウイルスみたいな認識だったころに市内でクラスターが発生して老人が沢山亡くなったってニュースを見てたので、家に帰っては冗談抜きで肘まで洗ってた。
  • 店舗改装→受験モードになってちょうど自分がそんなに店に来なくなり出したころ、店では改装が始まった。中間試験も重なってあんまり参加はできなかったが、これもこれで貴重な経験になった。改装前後で店の面積は変わってないんだけども、開放感がめちゃ高まってた。初めて店に入った時は「うぉ!これココに来たのか!」ていう驚きとかワクワクがすごかった。ただ、ヘルプッシュの音声が普通のお兄さんヴォイスからモヤさまのナレーションみたいな感じになってちょっと違和感あった。
  • QR決済導入→コロナとか増税に比べりゃそんなにデカい出来事ではないけど、便利になった。自分が買い物するときは、もっぱらQR派になった。ただレジ打ちしてて感じるのは、未だQR決済の人は多くなく、やっぱりまだまだ現金が主流派だった。次いでクレジット、次いでQRって感じである。意外にも若年層は割と現金派が主流で、QR使う主流派は子育て世代から中年世代くらいだった。もしかしたら店の客層ってだけで世間じゃ若者が一番QR世代なのかもしれないけど、店でのこの感触は少し意外だった。

もちろん、平素の仕事からも本当にいろんなことがあったが、特にこの4年しかないだろうなってのはこんな感じ。

意識してたことを思い出した

他方、バ先では自分の立ち位置?みたいなものを割と考える機会が多かった。自分で言うのもアレだが、それなりに中核的な位置のバイトだった。最後のバイトで、久々に入りたての頃の気持ちを思い出したので、自分がそのくらいの時に気をつけてたことを書いてみる。

  1. 挨拶。これはおそらくどこでもそう。挨拶しねぇ無愛想なやつには誰も話しかけてくれないし、何も任せてくれない。
  2. 返事。これもおそらくどこでもそう。返事聞こえない出来ない奴はバ先にも高専にもいたけど、本当に「コイツ大丈夫か?」みたいな気持ちになる。挨拶返事は中学、空手で割と身についてたのでOK。
  3. 出来ないことは教わる。これもおそらくどこでもそう。鬼みたいな社員さんの洗脳的熱心な教育もあって、頼まれごとをされた時には「知らないので出来ません」じゃなくて「分からないので教えていただけますか」と言うようになった。
  4. 感謝する。これもおそらくどこでもそう。何かモノを頂いた時、教えていただいた時、手伝っていただいた時、フォローに回っていただいた時、しっかり感謝を伝える。インカム越しの時は名前をちゃんと呼んで「ありがとうございます」と言うか、後でその人に会ったときに伝えるように心がけてた。
  5. メモを取る。これもおそらくどこでもそう。一回聞いただけで全部できるなら、余裕で東大に入ってると思う。
  6. 名前覚えたら名前で呼ぶ。昔から「キミ」とか「あなた」とか言われるのはスゴい嫌だった。2人称単数で呼ばれる度に「なんかスゲェ怒られそうor偉そうな感じ」ってのと「ワシこう見えても一応名前あるんすけど」的な想いを抱いてた。それなので、自分が他人を呼ぶときは上下関係なく極力名前で呼ぶようにしていた。あと「キミ」とかで呼ぶより名前で呼んだほうが単純に距離縮まるし。
  7. とりあえず話しかけてみる。ウザったるい絡み方とか媚び諂うような絡み方はアレだけど、他人と話せる機会があれば話してみるようにしてた。

書き出してみると、当然なことしかやってなかった。逆に言えば、規範に照らして当然なことをやってれば、それなりには出来上がってくるのだろう。社会人ならこれで満足してるわけにはいかないけど、時給千円の学生バイトの中では平均よりはしっかりしてたと思う。

「ありがとうございます」を言える客、言えない客

この中でも、「感謝をしっかり伝える」ということは、お客さんを見ててなおいっそう大事だと思った。道案内や説明をした際に「ありがとうございます」と言ってくれるお客さんには笑顔と愛想をふりまきたいし、別のことも聞いてもらって全然構わない。特に、見た目チャラ男の保育士の方が「お兄さん若いバイトの中でめっちゃ丁寧っすね、頑張ってください」とわざわざ言ってくれたことがあった。コロナ前だったけど、彼のことははっきり覚えてる。

「ありがとうございます」ひとつとって観察してみると面白くて、小学校高学年から20代までのお客さんはそれを言うのが当たり前のように、言葉がスッと出て来ることが多かった。子育て世帯の方は、はしゃいだり「ペット見に行きたい」と駄々をこねる子供をあやしながらも、子供の前というのもあって、若い人より少し早口でも言ってくれる。連れている子供の年齢に比例して言葉がゆっくりになっていった。高齢のお客さんはみなさん表情と声、ともに余裕があって、力になれない時は申し訳なさも残る。

一方で、感謝を伝えられない客、とりわけ年金受給層が多かったけど、こちらもしっかり覚えてる。感謝を伝えない、あるいは感謝していない客というのは、総じて高圧的で、自分で探したり調べようとする気を一切持っていない。全て他人任せで、やってもらって当然と思っているから感謝をしない。そして表情は終始緩むことなく、ガミガミ口だけは達者だからこっちも焦燥感に駆られる。目当ての商品が見つかったら店員のことが急に見えなくなって真っ先に商品を掴み凝視する姿は、理性を失った動物にも似ている。こういうお客さまには、本当はダメだけど、自分の提供できる最も省エネモードな対応をしていた。

自分はこれから訪れるほとんどの店でお客さん側だけど、こんな客には絶対になりたくない。反面教師の皆さま、悪い手本を人生かけて身につけて私にお示しくださり、ありがとうございます。私ははっきりと感謝を申し上げます。

あと単純に「ありがとうございます」言われないと、自分の作業に戻って良いのかの引き際も分かんないからマジで迷惑。

さっきのは「こんな客にはなりたくない」だったけど、他にも、この店で「こんな大人になりたい」という人にも出会えることができた。タバコ吸ってんのに起伏がなく殆どのライン入ってめちゃくちゃスマートに仕事をこなすMさん。途中で異動になったけど、いつも笑顔で色んな人と良い関係と雰囲気醸成してたMgrのSさん。同じように、バイトにもフランクに話しかけてくれて、応援に来たときも声かけてくださった元副店長、褒めて伸ばすタイプのTさん。「先輩は奢るべき」といって、一人暮らしでキツイのに食事の時は必ず奢ってくれたバイトの先輩Hさん。などなど。ひとまず、こんな人たちを目指してみようと思う。

最後の土曜勤務

先日まで行っていた旅行の土産を持ってバイトに出る。朝10時、出勤。その前に、宮島・広島駅のもみじ饅頭と京都駅で買った京都チーズケーキを休憩室の冷蔵庫に配置。朝はいつも通り戻しのカゴ車をひたすら片す。改装でデカくなったこの商館に物を置くのも、これで最後かと思うとなんか物悲しい。

途中、お世話になった人たちに辞める報告とお土産食べてちょと今までの御礼を行なっていく。自分のラインの人たちにはもうほぼお伝えしているので、会うのが最後になる人と他の方々に感謝を伝えていく。最近87から52に移ったSさん、警備のKさんにももみじ饅頭を差し出す。最近事務所バイトしてるTにも「土産あるで〜」と言って差し出す。Tはここで働く数少ない女子の同級生で旅行の話とか「成人式の便り来た?」とかも含め、小学校来いろんな無駄話をしてきた。多分もう、同窓会とかやらない限り会えることはないだろう。別れと感謝の意も込めて饅頭どうぞ。

戻しが終わり、いつも通り品出し。やり慣れた87。品出しもお客さんの案内も、いつもよりなぜか丁寧になる。無意識に惜しんでいるのかもしれない。作業中、よく見てみるとあらびっくり。新しくレノアの詰め替え4倍が出ていた。従来の最大品より300g増量の2.7kg。人によっては重くて買うのをためらう気がする。途中、店頭で衝撃的な出来事があったらしく、BさんSさんと共に現場を見にいく。休憩を終え、どうやらまだ第二に入荷カゴ車が残ってるとの話で、向こうからバックを通ってせこせこ運んでくる。この200m超の細い道をうまいこと力調節して運ぶのも、これで最後。Sさんと共に87の格納を行い、今度は53の品出し。途中、Sさんに呼ばれてクリアランスの売価変更を手伝う。

この最中にも、元競輪選手でイケオジなSさん、レジ時代からお世話になったTKさん、大人気焼き芋屋のオバちゃんにもお礼を伝える。なかなか伝えられずにいた74のYさんにも、ようやくお伝えすることができた。Yさんは後から「おめでとう」を言いに戻って来てくれた。なんて良い方、本当にありがたい。この他、助っ人で入ったレジから出た際、カウンターにいたKさん、ちょっと前95から移ったMさん、バイトのHさんにも伝える。

最初の休憩では、ドラッグのTさんから頂いたみかんを食べる。「今日のはスゴいよ」と言われながら頂いたが、前評判通りいつもに比べ馬鹿にデカくて皮が硬いゴージャスみかん。皮を剥くのにも一苦労。最後は無理やり引っぺがし、かじる。あまりにデカく剥くので一苦労だったので、後ろで休んでた資材のTに半分ほど渡す。一口で食って案の定噛めなそうにしてた。2度目の休憩中には、イケオジSさん、同じラインのSさん、昔同じ売り場で働いてていつの間にか結婚されて苗字が変わってたKさんにも饅頭とミニケーキを差し出す。同じ売り場のSさんとは旅行の話もした。「夜の清水寺行って来たんすよ〜」「え!夜行けたの?!」「特別拝観とかなんだかで、偶然行けたんすよ。これその写真」みたいな会話。写真のセンスあるねと高評価いただき、ガッツポーズ。

16時過ぎには、夜道で出会いたくない同級生バイトのEから「渡したいものがある」と言われ、休憩室へ。先週東京に行ってたらしく、その土産を頂く。彼曰く「中学来の感謝と門出を祝して」らしい。顔に似合わず良いことしやがって。饅頭でも喰らいやがれ。ついでに、同じ時間店にはいたが一度も顔を合わせられなかったハンサム同級生のNKのロッカーに「(バイトでは)短い間ありがとう、饅頭くらえ」と貼り紙して戻る。

53の品出し中、レジの前で昔から世話になったオバちゃん、いや、おばあちゃんのAさんに会う。残念ながら土日の出勤がなくなり客として来ていたが、どうやら私に会いに来てくれたらしい。本当にありがたい限り。折角なので、Aさんにも饅頭を渡そうと思い、自動扉で待ってもらう。近場にいた新社64のIさんにもお渡しする。

夜、53の品出し中、Wさんから内線するよう連絡を受け、受話器を取る。「Bさんからさっき電話あったんだけど、土産があるんだって?」作業指示を受ける気満々でいたので、拍子抜けして口角が緩む。電話越しに説明するより直接お渡ししたいので、休憩室へ駆ける。無事お渡しすることができ、Wさんのお力添えあって、渡せていなかった同じラインのパートさんのロッカーにも土産をお渡しすることができた。ありがとうございます。諸々を終え、家庭用品の前出し。52の消耗品をキレイに並べるチャレンジは、終わった後の美しさを考えてやると案外楽しい。

営業が終わり、閉店。ここで、新社のIさんは日曜休みなため、今日で最後。この日はさんざっぱら互いに感謝を伝えていた。「Iさん、さよなら!」帰り際、Iさんに笑顔で別れを告げる。1年間、本配属からは半年しかありませんでしたが、ありがとうございました。頂いたチョコは美味しくいただきます。後輩のHくんも日曜休み。学校の関係で長期休みしか会えなかったが、彼とはなんだかんだ3年半も一緒にやってきた仲だった。土産とこれまでの感謝を伝え、駐車場で今生の別れ。ありがとう、体力づくりと公務員試験頑張って。

そして、確か御歳80のTさんともこれで最後。帰り際、土産と今までの感謝を伝える。Tさん、ありがとうございました。失礼承知で言いますが、理想の老後は貴方です。

こうして、最後の土曜日勤務が終了した。

日曜、最後の勤務

日曜日、最後のバイトに出る。朝10時、出勤前に冷蔵庫を見て残りがいくらあるか見ようと思うも、紙袋がない。「もしやKが全部家に持っていきやがったか...?」とも思ったが、十分に用意した土産は結構お配りしてたので、単純に在庫切れで誰かが捨ててくれたのかもしれない。そう信じて作業を始める。

Bさんに指示を仰ぐが、早めにあがるとのことでこの時に門出祝いと昼飯代を頂く。ありがとうございます。どうやらまだ第二に色々あるらしく、長台を持って向こうに行き、積んで出す。23,52,53,83,85,87,88というこれまでの総まとめパックみたいな品出しをした。途中、第一で誘導と積み込みに入る。この作業も、4年間やってきて最後になる。ここで、色々あって75のHさんと短いけど初めて仕事をする。その待ち時間中、Bさんと少しお話しする。Bさんもこの店で最古参のうちのお一人で、自分より長い期間この店にいらっしゃる。そしてお孫さんが生まれるらしい。おめでとうございます。色々お話しさせていただき作業を終え、売り場に戻る。

また、この間もいろんな人たちに御礼行脚。同じラインのSさん、Mさん、Uさん、お三方に今までの感謝と昨日Wさん伝いに饅頭差し上げました報告。特に、Sさんには言い出すタイミングがなく当日になってしまったが、お伝えできてよかった。ペットのOさん、Hさんにも挨拶できたのでよかった。11時前、Sさん出社。「今までありがとう!」ということで、手のひらより二回り大きいくらいの手提げ袋を頂く。ありがとうございます。12時過ぎ、95のIさんに挨拶。「昨日の饅頭食った?」と聞いたが、案の定食ってないらしい。この野郎、FSから世話になってて渡したかったのに。

昼過ぎ、BさんからSと共に休憩入りなさいと言われ、頂いた昼食代を握りSと共に近所のラーメン屋へ。店を出る前、同じく今日で最後だったHさんと少し話す。最初はユニフォームの返却について聞かれたので答えるだけだったが、そのまま少し無駄話。彼女はこの後群馬で就職ということで、互いに励まし合いながら別れ、Sと共に店を出る。Sの兄とは中学以来の同級生だが、習い事の関係でS本人の方が倍近く付き合いが長い。ラーメン屋で進路含め学校のことや顔に似合わない恋バナなど、色々話す。ラーメンと共に頼んだスタ丼が沁み入る。

休憩が終わり、紙出しか64に入れと言われ、Sとじゃんけんし、自分は外売場へ。もれなく、この作業も最後だ。この日はそんなことなかったが、真冬の紙はキツイことを思い出す。群馬南部の冬は雪ではなくからっ風による乾燥があるがゆえ、静電気が頻繁に貯まる。2分に1度放電しないと、インカムのイヤホンを通じて耳から放電という最悪な静電気の浴び方をする。今となっては、耳感電もおもしろい経験だった。

トラスでの作業中、焼き芋屋さんに再度ご挨拶。これが本当に最後。そしてたまたま巡回してた店長とも最後の挨拶。すまん、何も用意してないと仰っていたが、そのお気持ちと頂いたお言葉だけで十分ありがたいです。この他にも、一旦店の中に戻った際にWさんから茶封筒を頂く。Wさん、Uさん、カウンターのKさんとMさんからのお気持ちらしい。ありがたく頂戴する。後で中をちらっと見てみたが、どうやら手紙らしきものが入っている。時間が厳しかった(のと店で読むとその後どういう顔して良いか分からなくなりそうだった)ので、これは自宅でしっかり受け止めさせてもらうことにした。事務所で会えたUさんに頂いたお気持ちにお礼し、その流れで進路と勉強したいことを話し、激励いただく。頑張ります。

15時過ぎ、中学の後輩でもあるKくんも同じ作業に加わってくれた。彼と協力して売り場を埋める。同時に、高専の後輩W少年も出勤。もう受験生で毎週土曜しか来ない生活になっていたが、自分のためにわざわざ日曜にズラしてくれた。「最後は一緒にやりましょう!」こんなことを言ってくれる後輩や周りの社員さんパートさんに恵まれ、つくづく幸せな人間だと痛感。

この日はやけに混んでおり、外での作業中もひっきりなしにレジ入ってくれとの声がかかる。最後だと思ってその都度行き来する。と同時に、願書の話とお礼言いたいと思っていたクソ忙しのMさんが手すきかどうかを逐一チェック。ちょうど良いタイミングでお話しすることができた。願書を印刷してもらう流れで、奥の部屋へ。ここでMさんとたまたまいた95のSさんたちにも辞める報告。「あれぇ〜ここに入るんじゃなかったのぉ〜?」「選択肢には考えました」みたいな会話を交わす。

Kくんとの外作業を終え、ゴミ捨て。定時でお帰りになるSさんとMさん、Uさんに最後の挨拶をし、休憩に入る。最後の休憩。隣に座ってたTさんからコーヒーを頂く。ここで、お世話になった店と良くしていただいた皆さんに向け、飲み物を買いに出る。缶ジュースをテキトーに3ケース拾い、Nさんに会計してもらう。「そんなにしなくてもいいんじゃねぇん」と言われたが「いやいや、区切りなので」ということで。いつも店を去る人が置き土産をしている定位置に自分も置き、置き手紙を貼る。よし、これでなんとか自分の中では一先ず満足できた。近場に座っていたHさん、FSのMさんにも差し上げ、MgrのOさん、75のHさんにも辞める報告。

昔から世話になってたMさんが事務所にいらっしゃったので、「どうぞどうぞ」と話したが「いや〜○○さんからは貰えないよぉ〜」「いやいや、今までの気持ちですんで、少ないですがぜひ」みたいな会話を交わす。これがMさんとの最後の会話だった。

休憩後、売り場替え、と思ったらそれは無しに。ということで、W少年と共にひたすら戻す。彼とは3年近く一緒にやってきて、絶大な信頼を置いていた。自分も彼も、学生バイトでは最古参の部類で、商品も何がどこにどれくらいとかがほぼ分かっているし、少ない言葉で互いに連携を取れるほどだった。そんな奴とも最後の共同作業。第一にて、この日の勤務を終えた警備のKさんにも最後の挨拶をし、別れる。

18時過ぎ、店頭での作業中先に上がったKくんがわざわざ挨拶に来てくれた。生物学を専攻していて、将来を聞いたら院に行きたいと話してくれた彼。バイトと中学の先輩後輩として、激励と感謝を伝え合い、別れる。とここで、たまたま目の前を通り過ぎた新社のYさんにも辞める報告。19時過ぎには、こちらもずっとお世話になっていたNさんにご挨拶。3年半、本当にありがとうございました。

19時半過ぎ、作業がひと段落つき、最後の前出し。10-1に居ると、Yさんがわざわざドリンクを持ってきてくれた。ありがとうございます、Yさんも頑張って。また店頭では、昔から可愛がって頂いてた資材のOさんにも挨拶。そんなこんなしてると最後の蛍の光が鳴る。これでおしまい。

色々モノを片し、事務所へ。記入や電子申請を行い、バイト始めたてから世話になってた先輩のIさんに内線。受話器越しに4年分の感謝を伝え、事務所を後にする。最後ということで、Wさんのドリンクバー。

同級生のEと休憩室で少し話し、行き会えなかったUさんのロッカーに缶ジュースを2本ブチ込む。そんなことをやってると、ロッカーの名札外しと服も持って帰ることを忘れかける。ついでに、明日も出勤のSさんに「P&GのHさんにこれをお願いしたいです」といって、お気持ちの缶ジュースを託す。Hさんには平日出勤してた時に色々お世話になってた。最近はもっぱら土日のみの出勤だったのでめっきり会う機会がなくなっちゃったけど、なんとか気持ちは伝えたかったので、忘れずにお願いできて良かった。

事務所にギリギリ帰ってきたIさんと直接言葉を交わし、別れる。Wさん、Sさんにも感謝を告げ、別れる。小学校来、同級生の兄より付き合いのあるSにも別れを告げるが、コイツとはまたどこかで一緒になる気がする。履き潰した安全靴を産廃のトレーラーに入れ、駐車場でW少年とも別れ。バ先と学校での感謝を伝え、車に乗り込む。

こうして、4年間のアルバイトがを全て終えた。

バイト終わり

この店では、こんだけ書いても挙げ切らないほど、本当に色んなことを学ばせていただき、経験させていただいた。店舗内という社会においても、社員さんやパートさん、バイトの先輩、出入りの方から目を掛けて頂き、慕ってくれる後輩もいるという、恵まれた環境で過ごすことができた。

金稼ぎという面でも、メシ代、教科書代、定期代、Nikonの一眼、MBP、CD/LP代、ライブ代、教習代、中古車代、ガス代、などなどたくさん稼いだ。中でも割と初めの頃から目標に掲げていた、受験料、参考書代、大学への郵便代、大学までの交通費と宿泊代など、編入受験にかかる全額を親にせびらず自分の稼ぎで支払えたのは、自分の美徳みたいなものを貫けた達成感があった。

ともかく、この平成から令和の激動の期間を、小売の中でも社会インフラ的要素の強かった店で温情と信頼を頂きながら働いた経験は、勉学以外の全ての面において価値があったと確信している。

ここでの経験を糧に、仙台での新生活、さらにはその先の将来を拓いていきたい。

その他の日記

  • 金曜、旅の疲れもあり、休み。
  • 土曜、バイト(10-20)。上述の通り。
  • 日曜、バイト(10-20)。上述の通り。
  • 月曜、14時、証明写真。16時、強風の中郵便局に入学書類を出しに行く。17時、戻る。深夜、伊集院さんのいない馬鹿力を聞く。伝説回だった。
  • 火曜、水曜、木曜、休み。
  • 金曜、卒業式。7時起床、8時半、高専着。有志らと620で記念撮影。9時、胡蝶蘭と共に代表謝辞に係るリハーサルで第一体育館。9時半過ぎ、HR教室。10時前、第一体育館入場。10時、卒業式出席。12時、HR教室に戻り、最後のHR。13時前、HR教室を出、F研。13時半過ぎ、写真撮影で第一体育館。この後、群嶺会館周辺で撮影。14時過ぎ、F研へ戻る。15時前、高専を出、だるま大使へ。15時半過ぎ、だるまを出、16時過ぎ、けやきウォーク。17時過ぎ、出る。
  • 土曜、10時前、Gメッセにてワクチン接種。途中、蔦屋書店により帰宅。22時過ぎ、歯茎が震え出す。だるい。
  • 日曜、未明より発熱で数度起きる。一日中ベットで過ごす。

学外で学んだこと

共同じゃない通信(3.11[Fri]-3.20[Sun])

後世に残したいおことば

人生、体が一番の資本。〜by 御歳たしか80歳のTさん〜 

御歳たしか80歳のTさんから最後にいただいたおことば。「体がダメだと会社でもアレだし心もやられるから体づくりしていけよ」と続く。当たり前のように思えるが、当たり前が人生で一番難しいということに最近気づき始めている。しかも、今もなおバリバリ働いてる人生の大先輩がそう言うんだから尚更だろう。これをしっかり、頭とここに書き記しておく。