大卒
26日火曜、大学の卒業式があったが、行かなかった。青葉山のやつは出たんだけどね。
正直、大学の卒業自体にはあまり感慨がなかった。小学校6年、中学3年、高専5年ときて大学2年間。期間も短かったし、コロナも手伝ってか、大学の友人と奮闘したみたいな思い出もそんなない。むしろ、今後の2年間の不安のほうが心を支配している。
高専と大学の4年間
とは言いつつも、高専4,5年と合わあせて大学の4年間が終わった。ちょっと振り返りでもしてみようと思う。
高専4年
パンデミックの流行とともに始まった令和2年だった。学校に来るなと言われ、近所では全国でも先駆け的に集団感染があって年寄りが何人も死んでいるとニュースで知り、冗談じゃなく帰ったら肘先まで石鹸で洗っていた。志村けんも岡江久美子も急死し、閉塞感の漂う日々だった。3月から通い始めた教習所も、緊急事態宣言で休校になって期限が延期になったりもした。
初めてのオンライン授業。個人的にはあんまり実になんなかったと思う。高専の先生も初めてだったからしょうがないっちゃしょうがないんだけど、授業の感じ(?)がピンとこなかった。授業は聞かず教科書と出た課題で自学自習して、試験勉強を機に乗り切ったみたいな感じだった。
バイトこそ定期的に行ってたけれど、やっぱり友人に会えない日々は辛かった。精神的に限界になりそうだった6月の終わりから、高専は登校が解禁された。大学の友人に話を聞くと2年ぐらいまでほぼオンラインだったらしいから、高専は恵まれていたのかもしれない。7月以降は感染対策こそしていたけれど、おおよそ通常通りの高専生活だった。
夏休みに入るぐらいから、本格的に編入のことを考え始めた。とりあえず図書館で編入数学徹底研究借りて、TOEICをちょこちょこやり始め。東北大を第一志望にしたのもたしかこの時期だった。
東北大を第一志望にした理由は、知り合いや親戚が誰もいない街だったってのが大きかったと思う。別に虐められてたわけじゃないし人間関係に不満もなかったけれど、20歳の節目に全く新しい生活をしてみたかった。他には、旧帝で一番解きやすそうだったとか、通信のメッカとか、そういう理由もあった。
8月28日、教習所の卒検が通り、無事出所(?)した。「やったーあとは本試験だ〜」と思って家に帰ってテレビを点けたら、安倍総理辞任のニュースしかやってなかった。総裁選のニュースを見ながら無事免許も取り、車も買い、群馬の大学生たる必要条件を無事満たせた。
そんなこんなで、後期は友達と遊びつつ、たまに車に乗りつつ、編入の勉強をゆるりと始めつつ、って感じだった。
高専5年
春休みからH、NKと編入過去問同好会を結成し、ともに勉強をしてきた。この間も自分の出来栄えに一喜一憂してた。
そして4月。卒研の配属も自分の志望になり、デザイン実験も自分の希望通りになった。滑り止め含め受験の予定も決まり、周りもそういうモードになってきた。受験の手続きも自分でこなす。受験費用を全部自分で賄ったのはプチ自己満足。
そういえば5月、級友がコロナに罹った。自分は濃厚接触者にはあたらなかったけど、けっこう近場で昼飯食ったりしてたから念の為ってことで前橋の保健所で唾液PCRを受けた。結局のとこ陽性反応はでなかったけど、ついに来たかって感じだった。
6月になると専攻科に始まり、周囲から合格報告が聞こえ始めてくる。嬉しい、安堵、励みになる反面、焦りや緊張、孤立感も高くなっていった。4月から月曜24時台に移動した空気階段の踊り場を聴いて、音楽とタイムフリーを通学の車の中で聞くのが唯一と言っていいストレス発散だった。
7月3日都立大、7月10日新潟大。都立大は数学の対策がダメで落ちた。しかも面接試験で「この先生の研究室入りたいです」って放言したらその人が面接官っていう後日談付き。話のネタになったからいいや。八王子までドライブしたのもいい思い出。新潟大は手応えがあって、無事合格だった。とりあえずプー太郎にはならないことが確定してホッとした。
新潟大に受かってある種肩の力が抜けたのもあったのだろうか、良い意味でも悪い意味でも東北大対策の熱が下がってしまった。正直、8月に関しては記憶がなく、時々逃避行をしていたことだけ覚えてる。
そういえば東京五輪やってたな。みんなの溜まり場だったI研のパソコンで空手の形を見て、みんなに解説したり。男子個人形の決勝は20時前だったか、車中だったけど箕郷だか金古のローソンに停めてスマホで見てしまった。喜友名選手が畳で一礼するシーンは目頭を熱くした思い出がある。
8月19日、東北大受験。初めて仙台に来た。こんな都会なんだと思った。受験の手応えは、正直まったくなかった。物理は8割取れたにせよ、数学は傾向と違うし、化学は覚えてるはずの化学式が出てこなかった。絶望して、部屋に帰って23時過ぎまで寝込んでた。たまたま点けてたテレビから、アメトーークの上島竜兵還暦スペシャルが始まってようやく元気が出て、ファミマにおにぎりを買いに行くことができた。その後、一応やるかと思って面接対策をする。
8月20日、面接。面接会場を間違って案内されるというハプニングもありつつ、10時前にはすべて終わった。けど、すぐ群馬に帰ったら絶望してしまいそうで、意味もなく仙台駅の中を歩き回ったり、意味もなく大宮まで乗り過ごしたりしてた。結局、無事に東北大には受かってたんだけど、発表までの1週間はかなり絶望的で、新潟大への進学を覚悟してた。
9月に入り、高専の連中とバイト先に合格報告。みんな喜んでくれた。バ先ではWさんBさんにいの一番に「受かりました!!!」って報告して、店長と握手させてもらったりした。Mさんからは「じゃあ店頭に『東北大1名現役合格』って垂れ幕しないと」って言われたのが印象的、Mさんらしい冗談。
とにかく、これで自分も1年抱えた懸案から解放され、友人たちと残りの時間を楽しむ余裕ができた。受験を言い訳にあまり参加できていなかったデザイン実験をやり、10月に入るとみんなでやりたいねと言っていたミニFMも参加し始める。
ちょうどこの時からだ、この日記をつけ始めたのは。やはり丸2年半も日記を付けてると、駄文とはいえそれなりに厚みが出てきたと思う。当時の空気感を思い出す。
5年後期は工華祭をやり、みんなで加奈藺に通い、クリスマスイベントをやり、とにかくバカほど笑いながら過ごした。俺ららしい青春だった。
1月、成人式。ほとんどが5年ぶりに会う連中だった。その晩にやったクラス会。今や大学の同期でもあるHとともに幹事を務め、9割のクラスメイトが参加してくれた良い夜だった。みんな大学生をやってたり、社会人をやってたり。互いの再会を喜び、成長を嬉しがりながら楽しんだなあ。
冒頭、幹事としての挨拶で「今日を境に急に大人ということではない。カッコよく、大人になっていこう。」的なことをイッチョマエに放った記憶がある。果たして、自分は出来ているだろうか。
3月になると卒業式。卒業生代表で答辞を読んだのはいい経験だった。
思い返せば、本当に楽しい2年間(5年間)だった。自分の興味の赴くままに勉強して、くだらんことをして、大学に受かること以外特に何も考えず、どうすれば明日が楽しくなるかだけを過ごした日々だった。一癖も二癖もある友人を得、生涯に渡るだろう付き合いも獲得した。
そんな連中と卒業旅行として行った広島、その流れで行った倉敷・京都一人旅。倉敷京都は結局日記公開してない。いつか挙げなければ。
3月後半になると地元が惜しくなってきた。もうこの桜も見れないのかと、ひたすら自転車で駆け回った。そうして、仙台での生活が始まる。
大学3年と4年
令和4年4月、東北大学に編入学をした。もうこれ以降は日記を書いてるから詳細は書かない。
編入してよかったかと聞かれれば、間違いなくそうだと答える。
前期の授業が始まる前は「自分はこの大学のレベルについていけるんだろうか」とものすごく不安だったけれど、なんとかしがみつくことが出来、無事に卒業単位を得ることが出来た。
自分の専攻の勉強以外にも、図書館やら講義やらで色んな知識や価値観に触れることが出来た。東北大にした理由の一つに「総合大学だから」っていうのも実はある。自分は興味の対象が幅広いから、工科系の大学、あるいは工学部だけ独立したキャンパスってのは嫌だった。東北大は総合大学で、キャンパスが違えど文理がギュッってしてる。散歩にももってこい。すごくいい大学だ。
それから、ここで出会った人々。前項で「東北大にした理由は知り合いが誰も居ない街だったから」と書いたけど、その狙いが功を奏し、群馬時代とは全く新しい人間関係を構築することができた。編入同期、学友、サークル、バイト先、その他...。
中でも、サークルとバイトは刺激的だった。ワシのサークルは普通のサークルと違い、街興しの実行委員でインカレ、かつ社会人とともに何かをやるというなかなか貴重なものだ。この組織の中で精力的に活動でき、多くの社会人、そして志を同じくした多くの学生たちと出会うことが出来た。こうした人たちと冬の仙台を照らすことが出来たのは、我が人生における誇りと成りつつある。
アルバイトに関しては、紆余曲折あり、今の職場に落ち着いている。箝口令があるのであんま書かないけど、この職場で働けて本当に良かったと感じている。職場の人はみんな人情深く、温かい。本当に、誇張抜きで嫌な人がいない。もれなくみんな好き。そんでもって、こんな自分でも、こういう形で誰かの役に立っているのかと思うと、ものすごく不思議な感覚と同時に、やっぱり嬉しい。いい職場に出会えた。
3年の前期前半、22年の4月から6月までは本当に孤独で目の前が真っ暗だった。しかし、今となっては多くの友人、人生の諸先輩方、後輩たちに恵まれ、健康的な日々を過ごせている。夜の青葉城で夜景を見ながら泣いた日も、今では笑い話として友人に喋っている。
親元と地元を離れいろいろな人と出会い、全く新しい生活を築くことが出来、本当に、これまでと全く別の人生を歩んでいるかのようだった。実に面白い二年間だった。
新規事業を書く
光ファ、卒業式に卒業生として出たけど、院に行くからまだいさせてもらう。OAも一緒。だけれど、M2は忙しいだろうしM2の12月になってまでB1とキャピキャピやるのもなんか憚られる気がするから、多分今年がちゃんとやるラストイヤー。だから、何かやるとしたら今年が最後。
実は前から漠然とやってみたいことがあった。詳細は書かないけど、数年前に近所の空き地で見た、コーラスイベント。それが強く印象的だった。
一昨年初めて責任者をやらせてもらい、昨年は全体を見れる立場に居た。今年は自分のためにも何かしたいと思って、「なんかおもれーことしたいねー」なんて一緒にダベってた今年の学生リーダーSくんに頼んで、責任者に再登板させてもらおうかと考えている。
漠然と「ワシやりたい」だけで責任者やらせろというのも先輩のわがままだろうから、とりあえずそれなりの草案を書いてSくんに渡してみた。
反応は良かった。言われたのは「他の責任者の子にも手本となるような感じでいってほしいです」っての。そっか、ワシもうその立場か。改めて認識させられた。カッコいい先輩でいないと。
就活も念頭に置き、研究室で叩き込まれた思考力なり、フレームワーク?思考法?を組み込みながら色々書いてみてる。
あと、忘れてはならないのは、あくまでこれは来場者のためにやるということと、ワシが全部をやるということではないということ。この2点を意識してやってみようと思う。
このあと2年
この間、Sさんから頂いた言葉「報恩謝徳」。
最近、自分の中で出来たことわざ「金と恩義は回りもの」。
半沢直樹2、大和田暁のセリフ「施されたら施し返す、恩返しだよ」。
残りの2年でやってみる。
美しい景色
池を覗く少年たち。
腰を休める年寄り。
蚊柱。
古墳を潜る少女たち。
キャッチボールをする親子。
弟を迎えに行く姉。
子どもの歩きを喜ぶ若い夫婦。
産まれたての吾子を抱く母親。
鴨に餌を撒く親子。
小川に棲む青草。
低い月。
雲まじりの夕焼け。
犬を連れる姉妹。
談笑する若い男女。
リフティングをする大学生。囃し立てる小学生。
ベンチにコーラを広げる家族連れ。
車中で余暇を潰す御仁。
その他の日記
- 21日木曜、市民の森に行く。河津桜が綺麗だった。
- 22日金曜、だるまに行くも、現金がなかった。セブンで金を下ろそうとするも、カードのICがついにダメになったらしく、断念。結局、夜にカナイで食べた。
- 23日土曜、だるまリベンジマッチ。無事食えた。その後、三ツ寺あたりをぶらつく。
- 24日日曜、東京へ。例によって明治神宮を参拝し、ぶらつく。24時過ぎ、八重洲から深夜バスで仙台へ。
- 26日火曜、青葉山で卒業証書授与式。桜吹雪、ではなくガチの吹雪だった。
- 28日木曜、青葉山に行き、KALDIで買い出しをして、編入同期で祝賀会。MくんAさん、受賞おめでとう。Hくん、大阪島流し、向こうでも頑張って。
- 29日金曜、系の合同卒論発表会。自分の発表中、マイクが混信してどっかのおばちゃんのウッキウキの就任挨拶が入ってきた。やっぱワシ持ってるわ。
- 30日土曜、バイト。Sさんのラスト出勤。昔話を聞いたり、お写真撮ったり。
- 31日日曜、バイト。Bさんと久々に休憩で喋る。終わった後、Mさんから電話が来てて、AさんとMさんの呑みにご一緒させてもらった。赤武と一ノ蔵を飲む。
この間聞いたアルバム
- "soraya"(2024) --- soraya
- "Terminal"(2024) --- リュックと添い寝ごはん
共同じゃない通信(3.21[Thu]-3.31[Sun])
3.21[Thu]-3.31[Sun]
以下、割愛。
今日の1曲
"未来予想図" - リュックと添い寝ごはん
3月20日リリースの新アルバムより。カロリーメイトのCMソング。目を覆いたくなるほどキラキラした曲とMV。でもめっちゃ良いんだよね、走りたくなる曲。
...大塚製薬のCM苦手なの多いんだよね。ポカリ、オロナミンC、カロリーメイト...ザ・アオハル、みたいなやつ。
"Knock You Out!"
やっぱエビ中って聴いてて楽しい。作詞作曲がまさかのKennyDoesとCosaquという。KennyDoesがファミリーらしい。
"TWINKLE WINK" - 私立恵比寿中学
"eternal sunshine" - Ariana Grande
Ariana Grandeの新アルバムより、同名曲。通しで聞いたら、想像以上にコンテンポラリーというか、R&B要素が強めでちょっと驚いた。ただ全曲で同じ志向だったから呑み込みやすかった。
"ナイアガラ音頭" - 布谷文夫
こん時の大瀧さんの顔、好きなんだよな。
"Oops, It Just Slipped Out" - The Courtships
3月のサンソンはフィリー・ソウルで棚つか。Part3でかかった曲。
明日へ向けて
大学院生活、スターティン☆